地域力
国富が細る
日本の経済が細る中、コロナ禍も相まってこんなニュースが飛び交う。
「採算が合わないから」なのだろうが、MMT的にはその奥に眼を向けることになる。
それは果たして、「不要なサービスなのか、過剰生産」なのか、それとも、
「需要も生産力もあるのに、取引が成立しないもの」なのか?
後者である場合、そのために、供給を細らせることは、それこそ国を貧しくすることになる。
MMT的には、
「本当に重要なのは、供給力、生産力。」
「需要と供給をつなぐための手段としてお金があるだけ」
などととらえられており(森井じゅん8:44-10:05、ムギタロー16:44-18:15)
すなわち、
「需要と供給があるにもかかわらず、それをつなぐことが出来ないときは、システムを見直す。」
べきものである。
初期の資本主義経済では、需要>>供給であり、市場のメカニズムが機能していたが、経済が成長し、多くの分野で供給能力が十分な段階になったところで、「利益重視」「コスト削減」「選択と集中」など、お金の尺度での効率化がすすめられるようになった。
これらを全く不要というわけでは無いが、効率化によって、お金の先にある「国富としての供給力」が削られることの無い様、注視してゆく必要がある。
私は、ここ1年ほどで、こういう見方で世の事象や政策を見るようになってきました。
実際の世界では、「お金の制約」が少なからず存在しているものの、意識するだけで少しは世の中が変わる気がします。
「耕作放棄地」「シャッター街」なども、本当に需要が無いのか、取引が成立しないだけなのか?
採算が合わないからと言って研究開発とか、インフラ投資といった分野を削って良いものなのか?
よく考えて、みんなで声をあげる必要があるでしょう。
税、お金、供給能力
「令和3年度税制改正大綱の闇 簿記が暴く税金の真実(室伏謙一×森井じゅん)」より。
30分ごろから、
「税とは?」
「財源がないから、財源が限られているから、と言って、あれもできない、これもできないという理由づけになっている」
「税収が財源だということによって、いろんな道を閉ざされていて、弊害が大きすぎる。」
「ここは、離して考えるしかない。税収と財源は、実際に連動していないので、考えてほしいなと思います。」
37分ごろから、
「お金っていうのは、例えば肩たたき券とか整理券みたいなものなんですよね。」
「今肩を叩きたい人がたくさんいる。肩を叩かれたい人もたくさんいる。」
「その中で今、肩たたき券が足りないからもっと増やした方がいいという話なんですよね。」
。
。
「今一番私たちが恐れなければいけないのはお金が足りないことでこの遷移が作られなくなることなんですよ。」
「それでどんどん供給能力がなくなっていく。」
。
「供給力がなくなってゆくと、本当にお金が発行できなくなってきます。」
「私たちが本当に考えなければならないのは、供給能力とサービス。」
(供給能力が失われることこそ世の中の損失)
。
別のところで、
国家経営は、『財政均衡』をとるのではなく、『経済均衡』をとるべき。
経済均衡とは、「インフレにならないレベルで生産能力を極大化させること」
予算の大きさは、供給能力にあわせる。
政府支出の伸びと、GDPの伸びは相関がある。
といった話を聞きました。
供給能力に、頭から蓋をするような事は、金銭面から見て有利な事であっても、
いずれは国を亡ぼすことにつながるということだろう。
過剰生産を肯定するわけではありません。
供給能力が高すぎる分野(があれば、そこ)から供給能力の低い分野に移転してゆく必要はあります。
しかし、今の世は、世の中として必要とされるものにもかかわらず、
経済性の点からさびれてゆくといったこと、身の回りにたくさんあると思います。
それって、アカンこと、行き過ぎなこと、なんですよね。
日本の独立と改憲
大西つねきが語る「日本の独立」について、
風花未来というかたが、
大西つねきの「思想、考え方」を交えて語っておられました。
これは、動画コラム、日本の戦後について(1)(2)の感想で、
日本の独立、アメリカからの独立、自主憲法(改憲)、平和主義、などに関連する話です。
大西つねきさんは、
アメリカ軍の完全撤退がまず先で、憲法の改正議論(非武装中立か軍備保持か)
はそのあとと言う。
風化未来さんは、保守には、親米保守と反米保守があるが、いずれにせよ、
正しい歴史認識による、アメリカからの独立、関係性変換が第一であり、
その流れの中で、自主憲法の制定を行なうべき、と述べられている。
改憲の話はこれから、現行の政権により、あがってくるのでしょうが、
「アメリカからの独立」無しで、憲法改正(軍備拡充)はよろしくないとの考えは、
保守というか、右寄りの方の考えでもあるようです。
親米、反米と、アメリカ隷属、独立は、ちょっと意味、ニュアンスが異なると思いますが、
改憲の前に、日米関係の見直しがまず先
という考えが一致しているということは、大切にしてゆきたいと思います。
参議院選終了・れいわ/山本太郎に思う
山本太郎のれいわ新選組は、2議席、得票率が5%近くあり、政党要件を満たす結果となった。
当の本人は、比例3位で落選、という結果。私が注目していた、大西つねきさんも、
当選は果たすことができませんでした。
でも、確かな前進は果たしたと思います。

私は、今回の街頭演説を聞いていて、山本太郎に大きく惹きつけられました。
今回の選挙戦、山本太郎は街頭演説で、
「今、この国に足りないのは何か」
「政治に足りないのは緊張感」
「野党側、どうしてもっと体張って戦わないんだ」
「数の力で負けているのはわかっている
数の力でどっちみち負けるんんだったら
ギリギリまで無駄な抵抗として体を張り続けて
テレビが映さなきゃいけない状況を
1か月2か月でも続けていれば、
あんな入管法みたいなとんでもないものを
今の政権与党が通そうとしてるって事を、
全国津々浦々までバレてしまう。
そういうことを、忖度するメディアでも流さざるを得ないって状況を
すべきだったんじゃないんでしょうか。
野党のみなさんも、がんばっておられるが、喧嘩の仕方が上品すぎ。
全身全霊、戦い続けるっていう姿勢は必要。
そういう集団を国会の中に作ってゆきたい。」
といった事を語っていました。
山本太郎が、どのように「全身全霊、戦っている」のか、
その時、野党議員は、どのような反応をしているのか、
を見てみたいと思いました。
また、一方で、選挙の間、山本太郎について、
「山本太郎はいや。無礼。スタンドプレーが過ぎる。生理的に受け付けない。」
といった声もよく耳にしていました。
山本太郎のどういった行動が、このような声につながるのだろうか?
と思いながら、山本太郎の議会(国会)でのやりとり、牛歩や葬儀のまねごと、
園遊会でのお手紙、など、たくさんのYouTube動画も、今回あらためて見てみることにしました。
国会の委員会質問では、委員長から、「時間が過ぎているからまとめてください」
と何度も言われながらも、「ルールを守ってください」と何度も言われながらも、
「おかしいじゃないか?」「まだ議論は終わっていない」「ちゃんと答えてください」
などと食い下がる。
また、
「国民のために、よく話し合って結論を出す、というルールを守っていないのは、あなたたちではないですか?」
と切り返す。
園遊会での直訴は、その後参議院で、「売名行為」と批判され厳重注意されたようだった。
牛歩するのは、メディアに流させて国会の現状を国民に知らせるため。
委員会で、言葉を選ばず(わざと選んで?)、物議をかもすのも同上。
その行動に、なぜ、野党のみなさんは乗ってきてくれないのか?
というのが、本人の気持ちだろう。
危機感、緊張感、本気度が、一般の国会議員より高いがゆえの行為だということ。
理由があったら法律を破っていいのか?
それは決してそうではない。
でも、世の中のルールについては、その限りでは無いと思う。
世の中のルールには、物事を円滑にすすめるための目安に近いものも多々ある。
「あかんものはあかんと言う。真実を徹底的に追及する。」は、
議員として、人として、やらねばならないこと。
「時間を守って質問する。時間が来たら採決する。」は、
物事を円滑にすすめるためのルール。
もしも両者が矛盾した場合、議員として、人として、どちらを取るかを選択するのは
決して間違ったことではないと私は思います。
私自身も、物事の判断の際には、まずルールを守ることはもちろんですが、
加えて、「これって、人としてどうなの?」と自問することを、常に心掛ける
ようにしてゆきたいと思っています。
そこまでやるか?
と、やり方に違いが出るのは、「危機感の持ち方の違いによるもの」、
は私も日々思うところで、
「まあ、危機感がなければそこまではやらん(ついてこれない)わな。」
ということは、よくあることです。
いずれにせよ、山本太郎の本気度は、しっかりと伝わってきました。
がんばれ、太郎ちゃん。
私もがんばります。