H30年4月議会の報告
4月27日に三宅町臨時議会が開催されました。

開催理由の主は、山辺・県北西部広域環境衛生組合議会議員の任期が1年のため、今年度の議員を選出(選挙)する必要があること、で、合わせて、先の3月議会で可決された常任委員会の委員定員変更(5名→10名)に伴ない、委員を選出(指名)する必要があること、でした。
臨時議会が開かれるとのことから、専決の報告や急を要する議案が上程され、結局議案等は、それ以外に、議案1件(公園条例の改正)、専決の承認3件(条例の改正)となりましたが、これらは全て、上位法等の改正に伴う条例の改正となります。
内容は、以下に掲載されていますので、そちらをご参照いただければと思います。
なお、上の山辺・県北西部広域環境衛生組合議会議員は、昨年に引き続き衣川副議長に受け持っていただくこと、常任委員は、総務建設、福祉文教ともに、議員全員が委員になることと決まりました。

開催理由の主は、山辺・県北西部広域環境衛生組合議会議員の任期が1年のため、今年度の議員を選出(選挙)する必要があること、で、合わせて、先の3月議会で可決された常任委員会の委員定員変更(5名→10名)に伴ない、委員を選出(指名)する必要があること、でした。
臨時議会が開かれるとのことから、専決の報告や急を要する議案が上程され、結局議案等は、それ以外に、議案1件(公園条例の改正)、専決の承認3件(条例の改正)となりましたが、これらは全て、上位法等の改正に伴う条例の改正となります。
内容は、以下に掲載されていますので、そちらをご参照いただければと思います。
なお、上の山辺・県北西部広域環境衛生組合議会議員は、昨年に引き続き衣川副議長に受け持っていただくこと、常任委員は、総務建設、福祉文教ともに、議員全員が委員になることと決まりました。
タウンミーティングの開催
今週の土曜日(4月28日)に、住民の方との意見交換会(タウンミーティング)を開催させていただきます。
4月7日、8日に新聞に折り込んだ活動報告にも予告させていただきましたが、詳細な告知も無くすみません。
開催場所は、
三河公民館(三宅町公民館三河分館)、石見駅より徒歩6分程度のところです。
時間は、午後1時より。(1~2時間の予定)
テーマは、平成30年度の三宅町予算について、を予定しております。
町の予算がどのように決まってゆくのか、などもお知らせできればと思っております。
事前申し込み不要、参加費ももちろん無料です。
事前の周知、声掛けもあまり出来ておりませんが、
皆様のご参加をお待ちしております。
議員活動をやらせていただいて、もうすぐ丸2年というところで、はじめての試みになります。
先達の議員の方の中には、定期的にタウンミーティングを持たれていた方もおられ、私も、そのような場に参加することから行政を身近に感じるようになってゆきました。今度は、自分がやる番だ、という風に考えております。
4月7日、8日に新聞に折り込んだ活動報告にも予告させていただきましたが、詳細な告知も無くすみません。
開催場所は、
三河公民館(三宅町公民館三河分館)、石見駅より徒歩6分程度のところです。
時間は、午後1時より。(1~2時間の予定)
テーマは、平成30年度の三宅町予算について、を予定しております。
町の予算がどのように決まってゆくのか、などもお知らせできればと思っております。
事前申し込み不要、参加費ももちろん無料です。
事前の周知、声掛けもあまり出来ておりませんが、
皆様のご参加をお待ちしております。
議員活動をやらせていただいて、もうすぐ丸2年というところで、はじめての試みになります。
先達の議員の方の中には、定期的にタウンミーティングを持たれていた方もおられ、私も、そのような場に参加することから行政を身近に感じるようになってゆきました。今度は、自分がやる番だ、という風に考えております。
カタツムリの知恵
「カタツムリの知恵と脱成長」という本を読みました。

以前 videonewsで取り上げられ、
関連書籍、「経済成長なき社会発展は可能か?」
を読んで、たどり着いた本です。
三宅町の図書室に、新着図書のリクエストを出して、4月に蔵書となったものを借りて読んでいます。
作者の中野佳裕氏は、近年ヨーロッパの社会思想にみられる、脱グローバリゼーションの思想を学び、紹介してくれている。
タイトルにある「カタツムリ」は、「せかいいちおおきなうち」(レオ=レオ二)という絵本から来たもの。
次のようなお話である。
あるとき、キャベツ畑の中に生息するカタツムリの親子の間で次のような会話がおこる。
ちびカタツムリ 「ぼく おとなになったら、せかいいち おおきな うちが ほしいな」
お父さん 「うどの たいぼく。 じゃまにならないように、 うちは かるく しとくんだよ」
昔、同じような事を言ったちびカタツムリがいて、お父さんに止められたものの、
いいつけを守らなかったちびカタツムリは、いっぱい食べて、いっぱい運動して、メロンのように大きな殻になった。
仲間のカタツムリからは、「すごいね、立派だね、世界一」と言われ、殻をもっと大きくし、飾りや模様も付け加えていった。
しかしある日、キャベツの葉っぱをすべて食べつくしたあとに、ちびカタツムリは困ってしまった。
自分のからだに乗っている殻があまりにも重すぎて、見動ぎが取れなくなったのだ。
仲間のカタツムリは別のキャベツ畑へと引っ越しましたが、彼だけが取り残され、食べ物にありつけず、やせ細って消えてしまった。残された殻は少しづつ壊れていき、最後には何も残らなかった。
ちびカタツムリは、涙を流しながら、「ちいさく しとこう。」と思いました。
そして、「どうして きみのうちは そんなに小さいの?」
と尋ねられると、必ず「せかいいち おおきなうち」の話を語ったという。
また、本書のしめくくりには、同じくレオ=レオ二の『スイミー』の話も引用されている。
スイミーは、ちいさな赤い魚の群れの中で、自分だけ黒い色をしていた魚。
ある日、大きな魚に仲間たちが飲み込まれ、独りぼっちになってさまよった後、別の群れに出会う。
でも、また、大きな魚がやってきて、飲み込まれそうになったとき、スイミーは思いつく。
みんなが集まって、大きな魚の形になって泳ぐことで、大きな魚に対抗するという技を。
形は出来たが、何かが欠けている。
「そうだ、ぼくが、目になろう」といって黒いスイミーが目になって見事、大きな魚を追い返すことができた。
という話。
主人公のスイミーは、ほかの小魚とは違う。そんな「異分子」のぼくが「目になろう」というところが、特異な個がネットワークを作ってゆく世界を描いている、という、深~いおはなしだとのこと。
ちょっと脱線気味になりましたが、話の本題は、
豊かさの追求の中で、社会は、経済成長を求め、大量生産大量消費、グローバリゼーション、へと盲目的に進んできた。
今日、これらへの弊害がクローズアップされる中、グローバリゼーションの後にくる時代を探る、というもの。
スイミーの話とともに、著者が語るのは、
「市場経済のグローバリゼーションが進行する世界において、ローカリゼーションに参加するとは、経済成長や効率性を追求する主流の豊かさの言説に対して異分子になることだ。けれども、たった一人の異分子による豊かさを変えたいという願いは、潜在的に同じ思いをもつ隣人の共感を呼び、その共感の連鎖が物語で描かれたような大きな魚の形をした小さな魚の群れをつくることになる。『スイミー』のクライマックスで描かれたあの印象的な赤い小魚の集合体は、一つの地域に集まった個性ある人たちのネットワークと捉えられる。もしくは、一匹の小魚を一つの地域と捉え、多様な地域が地球規模のネットワークを作ってローカリゼーションの大きな潮流をつくる姿にも解釈できる。」
「本書で紹介したさまざまな思想の水脈に触れることで、わたしたちの感性が少しでもローカルなもの、共的なものに対して開かれていくことを期待したい。人間はいつまでもグローバルな消費者を演じるわけにはいかない。ローカルに生き、さまざまな関係を耕す異分子になる時がきているのだ。」
ということで、
さあ、みんな、スイミーになろう!

以前 videonewsで取り上げられ、
関連書籍、「経済成長なき社会発展は可能か?」
を読んで、たどり着いた本です。
三宅町の図書室に、新着図書のリクエストを出して、4月に蔵書となったものを借りて読んでいます。
作者の中野佳裕氏は、近年ヨーロッパの社会思想にみられる、脱グローバリゼーションの思想を学び、紹介してくれている。
タイトルにある「カタツムリ」は、「せかいいちおおきなうち」(レオ=レオ二)という絵本から来たもの。
次のようなお話である。
あるとき、キャベツ畑の中に生息するカタツムリの親子の間で次のような会話がおこる。
ちびカタツムリ 「ぼく おとなになったら、せかいいち おおきな うちが ほしいな」
お父さん 「うどの たいぼく。 じゃまにならないように、 うちは かるく しとくんだよ」
昔、同じような事を言ったちびカタツムリがいて、お父さんに止められたものの、
いいつけを守らなかったちびカタツムリは、いっぱい食べて、いっぱい運動して、メロンのように大きな殻になった。
仲間のカタツムリからは、「すごいね、立派だね、世界一」と言われ、殻をもっと大きくし、飾りや模様も付け加えていった。
しかしある日、キャベツの葉っぱをすべて食べつくしたあとに、ちびカタツムリは困ってしまった。
自分のからだに乗っている殻があまりにも重すぎて、見動ぎが取れなくなったのだ。
仲間のカタツムリは別のキャベツ畑へと引っ越しましたが、彼だけが取り残され、食べ物にありつけず、やせ細って消えてしまった。残された殻は少しづつ壊れていき、最後には何も残らなかった。
ちびカタツムリは、涙を流しながら、「ちいさく しとこう。」と思いました。
そして、「どうして きみのうちは そんなに小さいの?」
と尋ねられると、必ず「せかいいち おおきなうち」の話を語ったという。
また、本書のしめくくりには、同じくレオ=レオ二の『スイミー』の話も引用されている。
スイミーは、ちいさな赤い魚の群れの中で、自分だけ黒い色をしていた魚。
ある日、大きな魚に仲間たちが飲み込まれ、独りぼっちになってさまよった後、別の群れに出会う。
でも、また、大きな魚がやってきて、飲み込まれそうになったとき、スイミーは思いつく。
みんなが集まって、大きな魚の形になって泳ぐことで、大きな魚に対抗するという技を。
形は出来たが、何かが欠けている。
「そうだ、ぼくが、目になろう」といって黒いスイミーが目になって見事、大きな魚を追い返すことができた。
という話。
主人公のスイミーは、ほかの小魚とは違う。そんな「異分子」のぼくが「目になろう」というところが、特異な個がネットワークを作ってゆく世界を描いている、という、深~いおはなしだとのこと。
ちょっと脱線気味になりましたが、話の本題は、
豊かさの追求の中で、社会は、経済成長を求め、大量生産大量消費、グローバリゼーション、へと盲目的に進んできた。
今日、これらへの弊害がクローズアップされる中、グローバリゼーションの後にくる時代を探る、というもの。
スイミーの話とともに、著者が語るのは、
「市場経済のグローバリゼーションが進行する世界において、ローカリゼーションに参加するとは、経済成長や効率性を追求する主流の豊かさの言説に対して異分子になることだ。けれども、たった一人の異分子による豊かさを変えたいという願いは、潜在的に同じ思いをもつ隣人の共感を呼び、その共感の連鎖が物語で描かれたような大きな魚の形をした小さな魚の群れをつくることになる。『スイミー』のクライマックスで描かれたあの印象的な赤い小魚の集合体は、一つの地域に集まった個性ある人たちのネットワークと捉えられる。もしくは、一匹の小魚を一つの地域と捉え、多様な地域が地球規模のネットワークを作ってローカリゼーションの大きな潮流をつくる姿にも解釈できる。」
「本書で紹介したさまざまな思想の水脈に触れることで、わたしたちの感性が少しでもローカルなもの、共的なものに対して開かれていくことを期待したい。人間はいつまでもグローバルな消費者を演じるわけにはいかない。ローカルに生き、さまざまな関係を耕す異分子になる時がきているのだ。」
ということで、
さあ、みんな、スイミーになろう!
テーマ : 都市計画・まちづくり
ジャンル : 政治・経済