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人口減少社会の未来学


『人口減少社会の未来学』を借りて読んだ。

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人口減少について11人の著名人が語っている。

多様な視点から「人口減少社会」に起きると予測される出来事と、それに対処するための提案を集めたものです。

序論で、内田は、人口減少はこれから世界中が直面することになる文明史的スケールの問題であり、政府や自治体がおこなっている婚活や育児支援のようなレベルの政策で対応できるスケールの変化ではないもの、と語り、加えて、AIによる雇用喪失、ベーシックインカムなどにも言及しています。

池田は、
狩猟社会から、農耕社会への変化、戦争の発生、産業革命と資本主義を通した人口の増加と、その後のポストグローバルキャピタリズムの時代におきる人口減少、の必然性を示した上で、その先に人口一定の定常経済の社会の出現を示唆している。

平川もまた、
『人口減少は、経済的な現象ではなく、資本主義の発展段階に必然的に起きる社会現象』
であるとし、社会構造(家族構造)やモラルの変更が鍵になるとしている。

資本主義の下、人が幸福を追求する過程で、多産は善で少子化は悪いことという時代があり、その後、女性の社会進出などから少子化に向かってゆく。
その先、
少子化、老齢化は、生産性の低下を招くことになり、その低下した生産性を効率化で取り戻そうとする。効率化の名の下で行われることは、非効率の切り捨てであり、社会の分断を招く。これにより、非寛容な格差社会へと変遷してゆくことにこそ問題の本質がある
という。

他にも、藻谷が、データ分析により、人口減少に関しては東京の一人勝ち(東京だけ人口が増加している)と言われているが、こと少子化に関しては地方より都市部のほうが深刻であること、すなわち、東京の人口増は、高齢者の人口増であるということ示していた。
次世代の再生力としては、都市部よりむしろ地方のほうが可能性があることもデータを交えて示していた。

他にも、いろんな人がいろんな事を語っていたが、私は、

『少子化は社会の必然であり、経済対策のように対応できるものではなく、
社会構造の見直しを伴なうものであり、都市部よりむしろ地方にその可能性がある』


という流れに同感した。

少子化対策、奥が深い。
気になった人は、この本、読んでみてください。

テーマ : 都市計画・まちづくり
ジャンル : 政治・経済

カタツムリの知恵

「カタツムリの知恵と脱成長」という本を読みました。

カタツムリ

以前 videonewsで取り上げられ
関連書籍、「経済成長なき社会発展は可能か?」
を読んで、たどり着いた本です。

三宅町の図書室に、新着図書のリクエストを出して、4月に蔵書となったものを借りて読んでいます。

作者の中野佳裕氏は、近年ヨーロッパの社会思想にみられる、脱グローバリゼーションの思想を学び、紹介してくれている。

タイトルにある「カタツムリ」は、「せかいいちおおきなうち」(レオ=レオ二)という絵本から来たもの。

次のようなお話である。

あるとき、キャベツ畑の中に生息するカタツムリの親子の間で次のような会話がおこる。

ちびカタツムリ 「ぼく おとなになったら、せかいいち おおきな うちが ほしいな」
お父さん 「うどの たいぼく。 じゃまにならないように、 うちは かるく しとくんだよ」

昔、同じような事を言ったちびカタツムリがいて、お父さんに止められたものの、
いいつけを守らなかったちびカタツムリは、いっぱい食べて、いっぱい運動して、メロンのように大きな殻になった。
仲間のカタツムリからは、「すごいね、立派だね、世界一」と言われ、殻をもっと大きくし、飾りや模様も付け加えていった。

しかしある日、キャベツの葉っぱをすべて食べつくしたあとに、ちびカタツムリは困ってしまった。
自分のからだに乗っている殻があまりにも重すぎて、見動ぎが取れなくなったのだ。
仲間のカタツムリは別のキャベツ畑へと引っ越しましたが、彼だけが取り残され、食べ物にありつけず、やせ細って消えてしまった。残された殻は少しづつ壊れていき、最後には何も残らなかった。

ちびカタツムリは、涙を流しながら、「ちいさく しとこう。」と思いました。
そして、「どうして きみのうちは そんなに小さいの?」
と尋ねられると、必ず「せかいいち おおきなうち」の話を語ったという。

また、本書のしめくくりには、同じくレオ=レオ二の『スイミー』の話も引用されている。
スイミーは、ちいさな赤い魚の群れの中で、自分だけ黒い色をしていた魚。
ある日、大きな魚に仲間たちが飲み込まれ、独りぼっちになってさまよった後、別の群れに出会う。
でも、また、大きな魚がやってきて、飲み込まれそうになったとき、スイミーは思いつく。
みんなが集まって、大きな魚の形になって泳ぐことで、大きな魚に対抗するという技を。
形は出来たが、何かが欠けている。
「そうだ、ぼくが、目になろう」といって黒いスイミーが目になって見事、大きな魚を追い返すことができた。
という話。

主人公のスイミーは、ほかの小魚とは違う。そんな「異分子」のぼくが「目になろう」というところが、特異な個がネットワークを作ってゆく世界を描いている、という、深~いおはなしだとのこと。

ちょっと脱線気味になりましたが、話の本題は、

豊かさの追求の中で、社会は、経済成長を求め、大量生産大量消費、グローバリゼーション、へと盲目的に進んできた。
今日、これらへの弊害がクローズアップされる中、グローバリゼーションの後にくる時代を探る、というもの。


スイミーの話とともに、著者が語るのは、

「市場経済のグローバリゼーションが進行する世界において、ローカリゼーションに参加するとは、経済成長や効率性を追求する主流の豊かさの言説に対して異分子になることだ。けれども、たった一人の異分子による豊かさを変えたいという願いは、潜在的に同じ思いをもつ隣人の共感を呼び、その共感の連鎖が物語で描かれたような大きな魚の形をした小さな魚の群れをつくることになる。『スイミー』のクライマックスで描かれたあの印象的な赤い小魚の集合体は、一つの地域に集まった個性ある人たちのネットワークと捉えられる。もしくは、一匹の小魚を一つの地域と捉え、多様な地域が地球規模のネットワークを作ってローカリゼーションの大きな潮流をつくる姿にも解釈できる。」

「本書で紹介したさまざまな思想の水脈に触れることで、わたしたちの感性が少しでもローカルなもの、共的なものに対して開かれていくことを期待したい。人間はいつまでもグローバルな消費者を演じるわけにはいかない。ローカルに生き、さまざまな関係を耕す異分子になる時がきているのだ。」

ということで、
 さあ、みんな、スイミーになろう!

テーマ : 都市計画・まちづくり
ジャンル : 政治・経済

経済成長なき社会発展は可能か?

年明けに、2冊の本を借りた事は先に記しましたが、
今日は、残りの1冊、「経済成長なき社会発展は可能か?」についてです。

中島_中野


作者は、フランスの人で、セルジュ・ラトゥーシュ。
訳者は、中野佳裕氏。 この中野氏が、1月6日のVideoNewsで、
「関係性の豊かさ」というテーマで話されていたことから、この本に行き着いたものです。

「経済成長なき社会発展」は、私が常日頃より追い求めているもので、
サブタイトル、<脱成長>と<ポスト開発>の経済学、というのも、
そのものズバリで、とてもワクワクしていました。

ただ、中身が非常に難しく、なかなか頭に入ってこない。
かなり読み飛ばしてしまいましたが、次のような感じかなと思います。

「経済成長」を1つの宗教の如く第三世界等に広めてきた資本主義社会の中から、
2000年ごろより、「脱成長」の論理を展開し理論的に体系を確立されている。

その中で、グローバルな統治に対して、地域イニシアティブの重要性を説き、
地産地消や、地域経済の自律(地域貨幣など)が唱えられている。

持続可能な社会というところから、経済成長を続けなければ倒れてしまう今の社会から
脱却しなければならない、という話はよく耳にする。そのたびに、「では原始人の生活に戻るのか」
などと言われ先に続かないことがよくあると思う。
この本は、脱成長を経済学として取り扱っているところが興味深い、と思ったのだが、
なんとも情けないことに、頭がついてゆかない。グローバルへの依存を下げることがキーのようなのだが。。。

以下は、具体的な9つの政策として示されているもの。
1)地球と同等、あるいはそれ以下のエコロジカル・フットプリントを回復すること
2)適切な環境税によって、輸送活動によって生じる公害を輸送コストに含めること
3)諸活動の再ローカリゼーションを行なうこと
4)農民による農業の再生
5)失業が続く間は、生産性の増加分を労働時間の削減および雇用の創出に転換させる
6)友情や知人など、人間関係に基づく財の生産を推進する
7)燃料の浪費を削減すること
8)広告支出を徹底して罰金化すること
9)科学技術のイノベーションにモラトリアムを設けること

脱成長の経済は、地域から進めるもののようです。
地域主権の時代にマッチしていると思います。
鎖国するわけではなく、外との連携も保ちながら、域内で脱成長に舵をきる。
どうやったら出来るのだろう?

理解度はまだまだ低いと思っています。
これを訳した、中野氏が、ご自身で本を書かれている、
「カタツムリの知恵と脱成長」というので、VideoNewsで話されていたが、
カタツムリは、決して家(貝殻のこと)を、ある程度以上大きくはしない。
それをやってしまうと自分で担ぐことができなくなり、逆に不便になることを知っているからだ。

みたいな事を、カタツムリの知恵、と言うらしい。
脱成長、関連として読んでみたいと思っています。

自分の子供や孫の世代では、なんとか「脱成長」の社会が見れないものか?
そういう思いで日々をおくってゆきたいと思う、今日このごろでした。

リベラル保守宣言

年明けに、2冊の本を借りて読みました。県立図書情報館の本を、
三宅の公民館で取り寄せていただいて入手したものです。

 その2冊とは、「リベラル保守宣言」「経済成長なき社会発展は可能か?」

中島_中野


今回は、「リベラル保守宣言」について記します。
これは、年末に、「リベラル」という言葉を使って記事を書きましたが、それつながりでの中島岳志氏の本になります。
大元は、VideoNewsの12月9日の放送です。
きれいにまとめる自信がないので、キーワードを拾い上げてみました。

・リベラルと保守は対抗関係にあるものではない。
・保守こそが真のリベラル。
・左翼は、「人間の理性によって、理想社会を作ることが可能と考える立場」。
・保守は、「人間の理性によって、理想社会を作ることなど不可能である」と考える。
・元をたどると、西部邁氏のリベラルマインドという本。
 (西部さん、この世を去られましたね。野中務さんも。)
・「自由民主主義は保守主義であらざるをえない」
・そもそも人間は不完全なもの。人間の理性による設計主義的な合理主義に解はない。
・真の保守は、人間の不完全性を直視した上で、社会変化に応じた漸進的な改革を求める。
・真の保守は、「復古主義」でもないし、もちろん「グレイトリセット」のような考えは持たない。
など。

何かの社会的問題に対して、「これは、制度が悪いから。制度を改める。」という立場をとり、
「制度を変えることで世の中は良くなってゆく。」と考えるのが左翼思想であり、
「制度を改めるのは結構だが、そもそも問題の本質は人にあるのだからそれだけでうまくゆくものではない。
したがって、急な変革はもってのほか、少しづつ変えてゆく(人自体が変わってゆく)しかない。」
といったのが、保守思想という話らしい。

同時に、中島氏は、保守といわれるものの中の、
「(戦前の)美しい日本を取り戻す」(懐古主義)や、
「グレイトリセットして1からやりなおすしかない」(破壊的な改革)、
に疑問を呈し、また、
「中庸と称して極端を嫌い、結果として人と人との間をとるだけ」のような政治も
保守(中道)ではないと批判しています。

今の政界、一体、誰が保守の本流であり、また、誰が真のリベラルと言えるのでしょうか?

ベーシック・インカム

先のベーシックインカムの勉強会を受け、ベーシックインカム(以下BIと略す)関連本を年末年始にかけて読みました。

BIは、すべての国民に文化的な最低限度の生活を営む権利を保障するもので、

1.生活保護等の世帯ベース保障から個人ベースとなることで個人の権利が明確となること、
2.全ての人に支給されることから、生活保護の網羅率の低さが解消されること、
3.生活保護制度による労働意欲阻害が解消されること、


といった効果があると言われています。

bI本
読んだのは、
ベーシック・インカム入門 山森亮
 無条件給付の基本所得を考える。
ベーシック・インカム   原田泰
 国家は貧困問題を解決できるか
の2冊です。

山森氏のは、BIの概念、歴史、現状を網羅的に解説しており、また、「個人と社会との関係」や「労働」についても、改めて考えてみるという内容。

原田氏のは、前半にBIの考え方があり、後半は「実際に日本で導入できるのか?」の試算、となっています。

どちらも興味深かったが、私は、どちらかというと後者の内容に魅入りました。

以下は、原田氏の冒頭部分からの引用。(強調は私がつけました)

これまでの日本社会の安心は、会社が中心になって担っていた。しかし、日本の会社はそのような重みに耐えかね、正社員を極力採用しないようになってきた。企業に、無理やり正社員を採用するよう求めることには無理がある。企業には、雇わないという選択もあるからだ。
そもそも、企業を安心の起点とすることは、19世紀、帝政ドイツの鉄血宰相ビスマルクが始めたことだ。ところが、雇用の非正規化とともに、そのような方法では安心のほころびが広がるばかりになっている。
そろそろ、企業をそのような仕事から解放してもよいころだ。
国家が直接、人々の安心を保障するべきだ。そうして初めて、すべての人々の安心が守られる。

さらに、医療や失業や介護の安心を守るだけではなく、国家が、貧困そのものを消滅させるべきではないだろうか。
国家に、そのような力はないと言う人もいる。
しかし、現在、国家がなしているさまざまな業務を整理できれば、国家はそのような財政力をもっているという結論に達する。」

 時代の変化に即して、これからは「国家が国民の生活を守る」ことが必然ということ。

補足すると、
『近代社会は、人々が自営業者から雇用者になっていく過程であり、これにより、子どもが、親にとって「資本財」であったものから、「消費財」になっていくことを意味する。』
といったことを言っています。

以下、またまた引用。

自営業者の社会では、子どもはとともに働き、親と同じ職業とそれに要する道具を受け継いだ。
こうした社会においては、「孝」を軸とする社会の安定化制度は、それなりに機能していた。
しかし、近代の雇用者の社会では、状況は大きく異なっている。子は、親と同居せず、異なる職業に就き、赤の他人に雇われるので、「孝」に基づく社会安定制度を維持することが難しくなった。
すると、子どもはもはや資本財ではない。つまり、親は、老後になって、「年金」や「保険」を子どもが提供してくれることを期待できない。
子どもが消費財となってしまったからである。

引用ここまで。

資本財、消費財、という言葉には少し抵抗を感じるが、言わんとしていることは良くわかる。
それを補うものが、雇用保険や医療保険や厚生年金などの制度であるというのも、流れとしてよくわかる。
これらそれぞれの単独制度がほころびはじめ、よりシンプルな制度としてBIが位置付けられるといういうストーリーには、十分な説得力があると感じた。

後半の、「実現できるか?」の中では、日本の所得分布に基づき、税制、生活保護、年金、の数値データを用いて、今の生活保護制度よりBIのほうが、「国民の生活を守る」ことができるものであることを説いています。

BIで必要となる100兆円近い財源は、以下のように捻出されるとのこと。

①税制(所得控除をなくし、全ての所得に課税する。)なぜならBIが所得控除の代わりとなるから
66兆円
②年金、子ども手当、雇用保険
19兆円
③各種所得補償、民生費、生活保護費より
15兆円

大半は、税制(所得控除)から来るものとなる。

以前より、BIの話で、私がひっかかっていたのは、なぜ、高所得者、資産家にも支給されてしまうのか?ということだった。
現在でも、高所得者、資産家にも、所得控除はある。それと同じで、BIは当然の権利と言うことらしい。
(確かに理にかなっている。) 
また、資産課税についても同様で、小規模宅地優遇制度なども廃止。
国がBIで生活を保障し、それ以外の収入、資産には一律課税するというスタンスで、すっきりしている。
なお、税の累進性をどのようにするかは、公平性および、税収増と徴税コストの両面から考えることとしており、詳しくは言及されていない。(累進性をとらずとも、所得に30%課税で財源は確保出来、現在の平均的所得者には増税とならない事が示されている。)

BI導入にあたっての一番の問題は財源と言われるが、実は無知なだけだったりして。。
ごあいさつ
松本健(まつもと たけし)です。

町議会、自治会等を通して、

ずっと住み続けたい町

のために、自治、自立を目指した住民主体のまちづくりに取り組んでいます。

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〒636-0211

奈良県磯城郡三宅町三河1-2

TEL. 090-8452-5455

E-mail. matsumo.take@gmail.com

プロフィール
松本 健(まつもと たけし)

松本健(まつもと たけし)

昭和37年11月12日生まれ
三宅小学校、式下中学校卒業の後、奈良県立畝傍高等学校を卒業。
昭和60年に大阪大学工学部を卒業ののち、民間企業に入社。
主に神奈川県川崎市でマイクロプロセッサの設計、開発に従事。
2011年5月、同社に26年間勤務の後、故郷三宅町に戻り現在に至る。
2016年7月より、町議会議員として活動を開始。
妻と小学生の子ども1人に高齢の父の4人暮らし。三河在住。

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