地域力
知事選挙が終わりました。
この先の方向が見えない中、ますます地域力が重要となってゆくことでしょう。
ここで言う地域力は、地域の稼ぐ力といったものではなく、地域の主権力といったものです。
私は三宅で生まれ育ち、その後神奈川での26年間の民間企業勤務の後、震災の年に故郷に帰ってきました。
我が子がなつかしの三宅幼児園、三宅小学校に通う中、しばらくの後、町議会の仕事をさせていただく事となりました。
神奈川で働き出したころは「ジャパンアズナンバーワン」や「24時間働けますか」という言葉が世を席巻していましたが、そのうち、円高から 選択と集中や身を切る改革など騒がれるようになりました。
そして現在、長期デフレ、格差社会に苦しみ閉塞状態のこの社会の下で、我が子ら が大きくなってゆこうとしています。
私たちには、高度成長からバブル、バブル崩壊、そしてデフレ経済へと進んでいった社会を正面から受け止め分析し過ちを改め、次の世代に渡してゆく責務があります。
歴史は繰り返すと言いますが、繰り返してはいけない歴史があります。
繰り返さないためには物事の本質を理解して改める必要があります。
それは「国がやる」ことなのでしょうか?
これまで、地方議会は地方のことをやっていれば良い、国のことは国がやる、と言われてきました。
私は微妙に違うと思っています。
そもそも 主権者は国民。何をやるかは国民が決める。
国民に一番近いのは市町村。
市町村が市民の声をきき、地元でできることは地元でやり、県や国を動 かさないとできないことは県や国を動かす。
国のことは国がやるのに違いは無いが、国のやることを決めるのはあくまでも国民ひとりひとりであることを忘れてはなりません。
すなわち、民主主義の大元のエンジンは基礎自治体にあり、さらにその中の地域内での対話集会にある。
地方自治 が民主主義の学校となり、地域が社会のあり方を変えてゆく、そんな社会に一歩一歩と近づく姿を、この先の世代に残してゆきたいと思っていま す。
私たちは戦争を知らない世代です。
先人の「戦争は二度ともういやだ」という強い思いの下で、平和な時代を過ごすことが出来ました。
今、集団的自衛権の行使容認から、敵基地攻撃能力の保持などといった動きに歯止めがかからなくなってきています。
歯止めはどこにあるので しょうか?
私は、
「戦争しない国」への道は、ひとりひとりの主権意識にあり、
それを地域のつながりで束ね、地方議会に反映させ、地方から国を揺するという動きにあると思っています。
あくまでも首長は主権者から権限を委託された者。
もちろん途中でダメ出しもOKです。