大石あきこ講演会in生駒
- 国会には、院内集会というのが頻繁にあるらしい。住民の方が議員に話をもってこられたのを、党派を超えて複数の議員で話を聞く場、とのこと。→三宅でもやりたいね。
- 松尾匡さん曰く、財界はこう動く「日本は”輸出でかせぐ”から、”海外でかせぐ”にシフト」「国内に残すのは、サービス業、高付加価値分野。他は輸入。」→確かに合点がいく。
- 大石さんの思い。たぶん、橋下知事の下で働いての結論。有識者が正しい事を言っても実現しない。実現するためには政治家にならないといけないこの世の中。現実はそうだが、やっぱり本来は違うと思う。私は、「政治家は、御用学者じゃない専門家の意見を、今までの人間社会の知の蓄積として取り入れ、ものごとを決める」という世の中でありたいと思う。
日本の国債依存度
国富が細る
日本の経済が細る中、コロナ禍も相まってこんなニュースが飛び交う。
「採算が合わないから」なのだろうが、MMT的にはその奥に眼を向けることになる。
それは果たして、「不要なサービスなのか、過剰生産」なのか、それとも、
「需要も生産力もあるのに、取引が成立しないもの」なのか?
後者である場合、そのために、供給を細らせることは、それこそ国を貧しくすることになる。
MMT的には、
「本当に重要なのは、供給力、生産力。」
「需要と供給をつなぐための手段としてお金があるだけ」
などととらえられており(森井じゅん8:44-10:05、ムギタロー16:44-18:15)
すなわち、
「需要と供給があるにもかかわらず、それをつなぐことが出来ないときは、システムを見直す。」
べきものである。
初期の資本主義経済では、需要>>供給であり、市場のメカニズムが機能していたが、経済が成長し、多くの分野で供給能力が十分な段階になったところで、「利益重視」「コスト削減」「選択と集中」など、お金の尺度での効率化がすすめられるようになった。
これらを全く不要というわけでは無いが、効率化によって、お金の先にある「国富としての供給力」が削られることの無い様、注視してゆく必要がある。
私は、ここ1年ほどで、こういう見方で世の事象や政策を見るようになってきました。
実際の世界では、「お金の制約」が少なからず存在しているものの、意識するだけで少しは世の中が変わる気がします。
「耕作放棄地」「シャッター街」なども、本当に需要が無いのか、取引が成立しないだけなのか?
採算が合わないからと言って研究開発とか、インフラ投資といった分野を削って良いものなのか?
よく考えて、みんなで声をあげる必要があるでしょう。