2023年(令和5年)再選
令和5年4月に三宅町議会議員選挙(18日告示、23日投票)があり再選。
4月24日に役場にて当選証書をいただいてまいりました。
みなさまのご支援に感謝し、初心に立ち返り「ずっと住みたい町」を目指します。
前回が無投票で、その前が補欠選挙(4名立候補で2名当選)であったことから、ある意味初めての選挙。
きびしい選挙戦の中で多くの体験、学びがありました。
人はひとりで生きているのではない。
これまで育ててくれた両親をはじめ、この町、この環境、今までかかわりを持った全ての方々に感謝。
おのずと自分がこれから何をしなければならないのかが見えてくる。
そういえば7年前の選挙の後にもこの感覚があった。
そして少しずつそれが薄れてきた。
初心に返れ、松本!
3月末から約1ヶ月の間、時(議員活動)が止まっていましたが、今週からリスタート(3期目)。
選挙戦でお聞かせいただけた問題(静かな選挙、高齢者支援、県立大学、意見交換会、などなど)。
声を聞くことの大切さ、聞きに行く、話しやすい関係を作る。。。。。
やっぱり選挙は大切。
テーマ : 政治・地方自治・選挙
ジャンル : 政治・経済
私がつくりたい町
私がつくりたい町はこんな町です。
1.みんなが意見を言いやすい町
2.人ひとりを大切にする町
3.地域発で くらしを守る町(地域主権力)
4.長年にわたる 人間社会の知恵が 政策に反映される町
こんな町に住みたい。住み続けたい。
こういう町がたくさんある国は、きっと戦争しない国となるでしょう。
1.みんなが意見を言いやすい町
みんなが意見を言うための条件は何か?
まず、情報が行きわたっていること。
「意見を聞きますと言われても何のこと?」では、話にならない。
次に、出た意見がなんらかの形で反映されること。
無視されてばっかりでは、しゃべる気にもならない。
単なるガス抜きになってしまう。
意見を言いやすいということは、情報公開がゆきとどき、意見が反映されること、そして、そういった場が身近にあること、が条件です。
2.人ひとりを大切にする町
「人ひとりを大切に」私の好きな言葉です。
会社に入ったとき、「人は企業なり、企業は人なり」、「人ひとりを大切に」といった教えを受けました。
町もしかり、県もしかり、国もまたしかり。
人ひとりから町は成り立っている。
人ひとりそれぞれが幸せになることが町の幸せ、町や国のために人に我慢を強いたりするのはおかしい。
ましてや一部の人のために町や国が何かをする社会はどうかしている。
「人ひとりを大切にする町」そんな町に私は住みたい。
3.地域発で くらしを守る町
国、県、町、といった行政区域があります。
町は町のことをやっていれば良いと言われますが、私は違うと思っています。
町民の暮らし、生活に関するすべてのことは町で発案して方向を決めること。実際やるのは、国とか県になるとしても、主権は私たちにあります。
地域発で、暮らしのこと、生活の事を取り上げ、議論して、町で出来ることはもとより、国や県への働きかけを行い、くらしを守ってゆきましょう。
4.長年にわたる 人間社会の知恵が 政策に反映される町
せっかく配分された予算なのに、その政策内容が、ごく少数の声で決められ、審議会にせよパブコメにせよ、あとづけの作業に過ぎない。「なるほど」と思えることが少ない。そんなことが多くありませんか?
役場内の知見に頼ることなく、これまでの人類の知恵や町民6500人の知恵を活用した納得の政策を行なうことができる町でありたい。
地域力
知事選挙が終わりました。
この先の方向が見えない中、ますます地域力が重要となってゆくことでしょう。
ここで言う地域力は、地域の稼ぐ力といったものではなく、地域の主権力といったものです。
私は三宅で生まれ育ち、その後神奈川での26年間の民間企業勤務の後、震災の年に故郷に帰ってきました。
我が子がなつかしの三宅幼児園、三宅小学校に通う中、しばらくの後、町議会の仕事をさせていただく事となりました。
神奈川で働き出したころは「ジャパンアズナンバーワン」や「24時間働けますか」という言葉が世を席巻していましたが、そのうち、円高から 選択と集中や身を切る改革など騒がれるようになりました。
そして現在、長期デフレ、格差社会に苦しみ閉塞状態のこの社会の下で、我が子ら が大きくなってゆこうとしています。
私たちには、高度成長からバブル、バブル崩壊、そしてデフレ経済へと進んでいった社会を正面から受け止め分析し過ちを改め、次の世代に渡してゆく責務があります。
歴史は繰り返すと言いますが、繰り返してはいけない歴史があります。
繰り返さないためには物事の本質を理解して改める必要があります。
それは「国がやる」ことなのでしょうか?
これまで、地方議会は地方のことをやっていれば良い、国のことは国がやる、と言われてきました。
私は微妙に違うと思っています。
そもそも 主権者は国民。何をやるかは国民が決める。
国民に一番近いのは市町村。
市町村が市民の声をきき、地元でできることは地元でやり、県や国を動 かさないとできないことは県や国を動かす。
国のことは国がやるのに違いは無いが、国のやることを決めるのはあくまでも国民ひとりひとりであることを忘れてはなりません。
すなわち、民主主義の大元のエンジンは基礎自治体にあり、さらにその中の地域内での対話集会にある。
地方自治 が民主主義の学校となり、地域が社会のあり方を変えてゆく、そんな社会に一歩一歩と近づく姿を、この先の世代に残してゆきたいと思っていま す。
私たちは戦争を知らない世代です。
先人の「戦争は二度ともういやだ」という強い思いの下で、平和な時代を過ごすことが出来ました。
今、集団的自衛権の行使容認から、敵基地攻撃能力の保持などといった動きに歯止めがかからなくなってきています。
歯止めはどこにあるので しょうか?
私は、
「戦争しない国」への道は、ひとりひとりの主権意識にあり、
それを地域のつながりで束ね、地方議会に反映させ、地方から国を揺するという動きにあると思っています。
あくまでも首長は主権者から権限を委託された者。
もちろん途中でダメ出しもOKです。