議会報告会
この1ヶ月ほどの間、議会報告会を皮切りに、石見駅前のワークショップ(近隣自治会向け)、タウンミーティング(予算説明会)、まちづくりトーク(小柳、石見)などがありましたので、まとめて報告しようと思いましたが、今回は、議会が開催した議会報告会についての報告です。
5/26に中央公民館で議会報告会をおこないました。
参加者は30名ほど。
前半1時間を議会報告、後半1時間は小集団に分かれてフリートーク、としました。
全体の無い様は、添付のレポートをご参照ください。
本文には、特に思ったこと、私自身のこれからの行動指針を記します。
<レポート添付>
議会報告で今年度の予算の説明などをおこなった際に、
『議会が行政の単なる追認機関であっては困る。行政の提案を議会でどのように議論し、どのように結論付けたかを、しっかりと説明して欲しい』
といった主旨の御意見も頂き、大変身が引き締まる思いでありました。
議会は、 確かに、いまだに十分な働きは出来ていないと思ます。
私自身、議会に加わってまず、「議案が出てきてからでは遅すぎる。」「予算を通したからといって全権を委任したわけではない。」との思いから、いかに、政策の決定プロセス、執行過程に関わってゆくかを考え、ここまで、行政に関わってきたつもりです。
しかしながら、いまだ、「議会はなめられている」感が随所に見られる気がしています。
議員に選んでいただいて、この2年、議員のあり方として、
「議員は議会内で意見をまとめて、行政に対峙することではじめて、町運営の一翼を担うことができる。」
という考え方と、
「議員は、それぞれが選挙で選ばれた公職者。それぞれ議員をやっている背景も違うし、考え方も異なる。意見をまとめることには無理がある。意見をまとめて行政に対峙するというのは理想であって、現実は、あくまでも個人商店として行政に働きかけてゆくことが重要。」
という2つの考え方の間で揺れ動きながら、両方を実践してきました。
しかし、今回、新たな気づきをさせていただくこととなったと考えています。
「議会内では、結局、話しはまとまらないんだから、個で行政に対峙する」、という行為は、議員みずからが、議員を軽視し、議会を機能不全としている行為であること。
また、
町長をトップとする階層構造の行政機関と、議会というフラットな組織の2元代表制で、どちらが民主的な組織であるのか、民主主義を醸成させるのは、どちらの役割なのか、現代社会が議会を必要としている根本はまさにここにあるということ。
過去、背景、利害関係の異なる10人(三宅町は議員が10名)のメンバーが、異なる意見をぶつけ合い、最終的に1つの結論を導き出す。このことにこそ、議会の必要性がある。
『熟議を通して民主主義の醸成をはかる』ことこそ議員本来の役割。
(立候補した時にもそう思っていたが具体的にどう実行してゆけば良いのかわからない、ぼんやりしたものだった。)
これをやるには、本会議、委員会の会議場でこと足りる話ではない。事前に情報を入手し、それらを整理、共有した上で、普段から議員同士が意見をぶつけ合うという、熟議を積んでおく必要がある。
現実問題として、行政の全ての事業にかかわることは出来ないだろうが、重要案件に対してどれだけ関与できるかが問われている。
①自身みずからが議会をおとしめるような行動、民主主義を否定するような行動はとらない。(議員同士でよく話し合う)
②議会内だけでなく、広く住民のみなさんに、情報を公開し、自身の意見を示してゆく。
を、行動の指針としてゆきたい。
5/26に中央公民館で議会報告会をおこないました。
参加者は30名ほど。
前半1時間を議会報告、後半1時間は小集団に分かれてフリートーク、としました。
全体の無い様は、添付のレポートをご参照ください。
本文には、特に思ったこと、私自身のこれからの行動指針を記します。
<レポート添付>
議会報告で今年度の予算の説明などをおこなった際に、
『議会が行政の単なる追認機関であっては困る。行政の提案を議会でどのように議論し、どのように結論付けたかを、しっかりと説明して欲しい』
といった主旨の御意見も頂き、大変身が引き締まる思いでありました。
議会は、 確かに、いまだに十分な働きは出来ていないと思ます。
私自身、議会に加わってまず、「議案が出てきてからでは遅すぎる。」「予算を通したからといって全権を委任したわけではない。」との思いから、いかに、政策の決定プロセス、執行過程に関わってゆくかを考え、ここまで、行政に関わってきたつもりです。
しかしながら、いまだ、「議会はなめられている」感が随所に見られる気がしています。
議員に選んでいただいて、この2年、議員のあり方として、
「議員は議会内で意見をまとめて、行政に対峙することではじめて、町運営の一翼を担うことができる。」
という考え方と、
「議員は、それぞれが選挙で選ばれた公職者。それぞれ議員をやっている背景も違うし、考え方も異なる。意見をまとめることには無理がある。意見をまとめて行政に対峙するというのは理想であって、現実は、あくまでも個人商店として行政に働きかけてゆくことが重要。」
という2つの考え方の間で揺れ動きながら、両方を実践してきました。
しかし、今回、新たな気づきをさせていただくこととなったと考えています。
「議会内では、結局、話しはまとまらないんだから、個で行政に対峙する」、という行為は、議員みずからが、議員を軽視し、議会を機能不全としている行為であること。
また、
町長をトップとする階層構造の行政機関と、議会というフラットな組織の2元代表制で、どちらが民主的な組織であるのか、民主主義を醸成させるのは、どちらの役割なのか、現代社会が議会を必要としている根本はまさにここにあるということ。
過去、背景、利害関係の異なる10人(三宅町は議員が10名)のメンバーが、異なる意見をぶつけ合い、最終的に1つの結論を導き出す。このことにこそ、議会の必要性がある。
『熟議を通して民主主義の醸成をはかる』ことこそ議員本来の役割。
(立候補した時にもそう思っていたが具体的にどう実行してゆけば良いのかわからない、ぼんやりしたものだった。)
これをやるには、本会議、委員会の会議場でこと足りる話ではない。事前に情報を入手し、それらを整理、共有した上で、普段から議員同士が意見をぶつけ合うという、熟議を積んでおく必要がある。
現実問題として、行政の全ての事業にかかわることは出来ないだろうが、重要案件に対してどれだけ関与できるかが問われている。
①自身みずからが議会をおとしめるような行動、民主主義を否定するような行動はとらない。(議員同士でよく話し合う)
②議会内だけでなく、広く住民のみなさんに、情報を公開し、自身の意見を示してゆく。
を、行動の指針としてゆきたい。
テーマ : 政治・地方自治・選挙
ジャンル : 政治・経済