豊かさって何?
「豊かさって何?」
技術革新によって、人は豊かになりました。主食のコメも、機械を使わずに作ったら一人で精々1反が精一杯でしょう。1反で4石(4人が1年で食べる量)と言われますので、4人に一人(25%)がコメ作りをしないと食をまかなえなかったことになります。
今や、機械をそろえるのにお金はかかるものの、コメ1反は30時間ほどで出来るそうです。
現在、一農家で、一町(10反)以上作られている方が大勢おられます。(1反600Kgで10万円そこそこ、一町でも100万円程度ですが。)
そうなると、40人に一人(2.5%の人)で、国内のコメが賄えるという計算になります。
生産性は10倍以上あがっているのでしょう。仮に、生産性が10倍になったとして、コメの価格が1/10になったなら、コメを作る人は、同じ時間働いて、10倍のものを産み出さないと生きてゆけないことになります。
生産性向上は、モノの量に転嫁されて、生産者の労働時間は変わらないという結果になります。
エレクトロニクス、コンピュータの世界では、20年で1000倍の性能向上がありました。
コメの場合と同様に働く人が1000分の1で済んだのかというとそうではなく、生産量の増加を伴なって、1000倍の性能のものが以前と同じような値段で売られています。
技術革新、生産性の向上により、人間の労働時間って、それほど短くは、なっていません。
確かに週休2日とか、定年とか年金とか、江戸時代よりは労働時間は減っているのかもしれません。
産業革命や高度経済成長の時期、技術革新を、もっぱら富の増大(モノの量、性能)に向けることで、人は豊かな社会を築いてきました。これから先は、技術革新の果実を半分でも労働時間の短縮に向けられる社会にしてゆかないと、人はこれ以上に豊かになれないと思いますが、みなさんは、どのようにお考えになられるでしょうか。
最近、「AIが人間の仕事を奪う」などと言う人がいます。産業革命のころも、「機械が人間の仕事を奪う」とか言われたものです。AI化により、ますます、生産が必要とする資本と労働力の比率が変わってくることは確かでしょう。
だからと言って労働分配率が小さくなってはいけないのではないでしょうか。
資本と労働が富を生み出すわけですが、生産の源はあくまでも労働にあることに変わりありません。
資本が生む富が増大すればするほど、富が一部の人に集中することになるのですから。
今後、さらなる技術革新により、みんなが1日4時間ぐらい働いて、豊かに暮らせる社会が来ればいいのにな、と思っています。
「分配重視の社会」
「豊かさを労働時間の短縮につなげられる社会」、これって新自由主義(自由競争、グローバリズム)
の先にはありませんよね。私は、地域社会、分配重視の先にこそ、その豊かさはあると思っています。
以前は、保守と革新と言われていた政治対立の構図が、最近、「リベラル」という言葉でおきかわって来ています。
それは、ベルリンの壁崩壊など、東西対立の構図がこの世から消えてなくなった事にも起因するそうです。
昔は、資本主義、社会主義、の対立があり、資本主義の中でも、福祉や分配重視の修正資本主義のような考えが穏健な保守というか中道といった名で支持を集めていました。その後、ベルリンの壁崩壊により、社会主義の勢力が姿を隠し、資本主義の中での、自由競争重視と分配重視(穏健な保守)が対立の構図と変わってゆきました。
一方で、「リベラル」という言葉、自由主義とか訳されるが、要は「権威主義」「全体主義」の逆。
偉い人に政治を委ねる(まかせる)のではなく、市民参加でやってゆくというもの。(市民社会重視)
分配を重視するにあたって、権威主義的、中央集権的、体制的にやってゆくのが、善人の領主さまによる統治であったり、社会主義国的な分配であったりで、市民参加でやってゆくのが、社会民主主義、欧州的リベラル、北欧の福祉国家、などの領域となるようです。
下の図は、政治姿勢を2つの軸(価値観、お金)で分けたもの(ビデオニュース、宮台氏、中島氏ら)です。
池田信夫氏は、批判していましたが、まあ、いろんな考え方があるでしょう。

私は、市民参加型で分配重視の道を追い求めたいと思っています。
技術革新によって、人は豊かになりました。主食のコメも、機械を使わずに作ったら一人で精々1反が精一杯でしょう。1反で4石(4人が1年で食べる量)と言われますので、4人に一人(25%)がコメ作りをしないと食をまかなえなかったことになります。
今や、機械をそろえるのにお金はかかるものの、コメ1反は30時間ほどで出来るそうです。
現在、一農家で、一町(10反)以上作られている方が大勢おられます。(1反600Kgで10万円そこそこ、一町でも100万円程度ですが。)
そうなると、40人に一人(2.5%の人)で、国内のコメが賄えるという計算になります。
生産性は10倍以上あがっているのでしょう。仮に、生産性が10倍になったとして、コメの価格が1/10になったなら、コメを作る人は、同じ時間働いて、10倍のものを産み出さないと生きてゆけないことになります。
生産性向上は、モノの量に転嫁されて、生産者の労働時間は変わらないという結果になります。
エレクトロニクス、コンピュータの世界では、20年で1000倍の性能向上がありました。
コメの場合と同様に働く人が1000分の1で済んだのかというとそうではなく、生産量の増加を伴なって、1000倍の性能のものが以前と同じような値段で売られています。
技術革新、生産性の向上により、人間の労働時間って、それほど短くは、なっていません。
確かに週休2日とか、定年とか年金とか、江戸時代よりは労働時間は減っているのかもしれません。
産業革命や高度経済成長の時期、技術革新を、もっぱら富の増大(モノの量、性能)に向けることで、人は豊かな社会を築いてきました。これから先は、技術革新の果実を半分でも労働時間の短縮に向けられる社会にしてゆかないと、人はこれ以上に豊かになれないと思いますが、みなさんは、どのようにお考えになられるでしょうか。
最近、「AIが人間の仕事を奪う」などと言う人がいます。産業革命のころも、「機械が人間の仕事を奪う」とか言われたものです。AI化により、ますます、生産が必要とする資本と労働力の比率が変わってくることは確かでしょう。
だからと言って労働分配率が小さくなってはいけないのではないでしょうか。
資本と労働が富を生み出すわけですが、生産の源はあくまでも労働にあることに変わりありません。
資本が生む富が増大すればするほど、富が一部の人に集中することになるのですから。
今後、さらなる技術革新により、みんなが1日4時間ぐらい働いて、豊かに暮らせる社会が来ればいいのにな、と思っています。
「分配重視の社会」
「豊かさを労働時間の短縮につなげられる社会」、これって新自由主義(自由競争、グローバリズム)
の先にはありませんよね。私は、地域社会、分配重視の先にこそ、その豊かさはあると思っています。
以前は、保守と革新と言われていた政治対立の構図が、最近、「リベラル」という言葉でおきかわって来ています。
それは、ベルリンの壁崩壊など、東西対立の構図がこの世から消えてなくなった事にも起因するそうです。
昔は、資本主義、社会主義、の対立があり、資本主義の中でも、福祉や分配重視の修正資本主義のような考えが穏健な保守というか中道といった名で支持を集めていました。その後、ベルリンの壁崩壊により、社会主義の勢力が姿を隠し、資本主義の中での、自由競争重視と分配重視(穏健な保守)が対立の構図と変わってゆきました。
一方で、「リベラル」という言葉、自由主義とか訳されるが、要は「権威主義」「全体主義」の逆。
偉い人に政治を委ねる(まかせる)のではなく、市民参加でやってゆくというもの。(市民社会重視)
分配を重視するにあたって、権威主義的、中央集権的、体制的にやってゆくのが、善人の領主さまによる統治であったり、社会主義国的な分配であったりで、市民参加でやってゆくのが、社会民主主義、欧州的リベラル、北欧の福祉国家、などの領域となるようです。
下の図は、政治姿勢を2つの軸(価値観、お金)で分けたもの(ビデオニュース、宮台氏、中島氏ら)です。
池田信夫氏は、批判していましたが、まあ、いろんな考え方があるでしょう。

私は、市民参加型で分配重視の道を追い求めたいと思っています。