H29年3月議会報告(その5)
H29年3月議会報告(その5)
今回は、おまけ。
一般質問に対する回答の中に、次のようなくだりがあった。
『当然のことではありますが、住民一人ひとりの「幸せである」と
いう気持ちは人それぞれであると思います。これをもって行政の役割は、
幼児や児童、若者、子育て世代、働く世代、高齢者など、全ての方が
安心して暮らせるよう安定した社会基盤を築くことであると思います。
多様な価値観を互いに尊重し、調和をもった元気なまちづくりを
すすめて参りたいと考えています。』
う~ん。なるほど。いや、そうなのかな?
そこで、
「多様な価値観を尊重する」ことと、「自分の目指すものを持つ」
ことは、相反することなのかどうなのか?
考えてみた。
民主主義は多様性を尊重する。価値観は人それぞれである。
では、価値観の異なるような政策は、民主主義の下では実行
できないのだろうか?
とある、先生の言葉を思い出した。
そもそも、政策に「みんなのためのもの」なんてあり得ない。
もし、「この政策は、住民全ての人のためのものです。」なんて
言う人がいたら、ダメ出しをしないといけない。
すべての政策は、特定の人たちのためのもの。明らかに恩恵を被る
人たちと、そうでない人たちがいる。
だから、政策を進めようとする場合には、
「この政策は誰のためのものか」を明らかにすること。その上で、
その「誰」に入る人にも、「誰」から外れる人にも理解を求めること。
これは、直接の利害関係だけでなく、人生観についても同様。
「みんなのためになる」なんてのは、まやかし以外のなにものでもない。
よくよく見てみると、大多数のためになるけど、一部少数のために
はならない、という場合がほとんど。これは、少数派を切り捨てて、
多数派に従う、と同じことで、実は、多様性の尊重にはならない。
こんな感じのお話。
つまり、人それぞれ、多様な価値観を互いに尊重するということは、
いかなる政策であっても、誰のためのものか、逆に誰のためには
ならないものか、をはっきりさせたうえで、ためにならない人にも
理解を求めて、合意を形成した上ですすめてゆくことが大切。
石見駅の開発であれば、使う人の意見だけでなく、使わない人の合意
形成も必要。学童であっても、お子さんのおられる家庭、そうでない
家庭など。インター周辺の開発でも、近隣の住民、そうでない住民。
目指す社会、新自由主義、里山資本主義、なども。。