経済成長なき社会発展は可能か?
年明けに、2冊の本を借りた事は先に記しましたが、
今日は、残りの1冊、「経済成長なき社会発展は可能か?」についてです。

作者は、フランスの人で、セルジュ・ラトゥーシュ。
訳者は、中野佳裕氏。 この中野氏が、1月6日のVideoNewsで、
「関係性の豊かさ」というテーマで話されていたことから、この本に行き着いたものです。
「経済成長なき社会発展」は、私が常日頃より追い求めているもので、
サブタイトル、<脱成長>と<ポスト開発>の経済学、というのも、
そのものズバリで、とてもワクワクしていました。
ただ、中身が非常に難しく、なかなか頭に入ってこない。
かなり読み飛ばしてしまいましたが、次のような感じかなと思います。
「経済成長」を1つの宗教の如く第三世界等に広めてきた資本主義社会の中から、
2000年ごろより、「脱成長」の論理を展開し理論的に体系を確立されている。
その中で、グローバルな統治に対して、地域イニシアティブの重要性を説き、
地産地消や、地域経済の自律(地域貨幣など)が唱えられている。
持続可能な社会というところから、経済成長を続けなければ倒れてしまう今の社会から
脱却しなければならない、という話はよく耳にする。そのたびに、「では原始人の生活に戻るのか」
などと言われ先に続かないことがよくあると思う。
この本は、脱成長を経済学として取り扱っているところが興味深い、と思ったのだが、
なんとも情けないことに、頭がついてゆかない。グローバルへの依存を下げることがキーのようなのだが。。。
以下は、具体的な9つの政策として示されているもの。
1)地球と同等、あるいはそれ以下のエコロジカル・フットプリントを回復すること
2)適切な環境税によって、輸送活動によって生じる公害を輸送コストに含めること
3)諸活動の再ローカリゼーションを行なうこと
4)農民による農業の再生
5)失業が続く間は、生産性の増加分を労働時間の削減および雇用の創出に転換させる
6)友情や知人など、人間関係に基づく財の生産を推進する
7)燃料の浪費を削減すること
8)広告支出を徹底して罰金化すること
9)科学技術のイノベーションにモラトリアムを設けること
脱成長の経済は、地域から進めるもののようです。
地域主権の時代にマッチしていると思います。
鎖国するわけではなく、外との連携も保ちながら、域内で脱成長に舵をきる。
どうやったら出来るのだろう?
理解度はまだまだ低いと思っています。
これを訳した、中野氏が、ご自身で本を書かれている、
「カタツムリの知恵と脱成長」というので、VideoNewsで話されていたが、
カタツムリは、決して家(貝殻のこと)を、ある程度以上大きくはしない。
それをやってしまうと自分で担ぐことができなくなり、逆に不便になることを知っているからだ。
みたいな事を、カタツムリの知恵、と言うらしい。
脱成長、関連として読んでみたいと思っています。
自分の子供や孫の世代では、なんとか「脱成長」の社会が見れないものか?
そういう思いで日々をおくってゆきたいと思う、今日このごろでした。
今日は、残りの1冊、「経済成長なき社会発展は可能か?」についてです。

作者は、フランスの人で、セルジュ・ラトゥーシュ。
訳者は、中野佳裕氏。 この中野氏が、1月6日のVideoNewsで、
「関係性の豊かさ」というテーマで話されていたことから、この本に行き着いたものです。
「経済成長なき社会発展」は、私が常日頃より追い求めているもので、
サブタイトル、<脱成長>と<ポスト開発>の経済学、というのも、
そのものズバリで、とてもワクワクしていました。
ただ、中身が非常に難しく、なかなか頭に入ってこない。
かなり読み飛ばしてしまいましたが、次のような感じかなと思います。
「経済成長」を1つの宗教の如く第三世界等に広めてきた資本主義社会の中から、
2000年ごろより、「脱成長」の論理を展開し理論的に体系を確立されている。
その中で、グローバルな統治に対して、地域イニシアティブの重要性を説き、
地産地消や、地域経済の自律(地域貨幣など)が唱えられている。
持続可能な社会というところから、経済成長を続けなければ倒れてしまう今の社会から
脱却しなければならない、という話はよく耳にする。そのたびに、「では原始人の生活に戻るのか」
などと言われ先に続かないことがよくあると思う。
この本は、脱成長を経済学として取り扱っているところが興味深い、と思ったのだが、
なんとも情けないことに、頭がついてゆかない。グローバルへの依存を下げることがキーのようなのだが。。。
以下は、具体的な9つの政策として示されているもの。
1)地球と同等、あるいはそれ以下のエコロジカル・フットプリントを回復すること
2)適切な環境税によって、輸送活動によって生じる公害を輸送コストに含めること
3)諸活動の再ローカリゼーションを行なうこと
4)農民による農業の再生
5)失業が続く間は、生産性の増加分を労働時間の削減および雇用の創出に転換させる
6)友情や知人など、人間関係に基づく財の生産を推進する
7)燃料の浪費を削減すること
8)広告支出を徹底して罰金化すること
9)科学技術のイノベーションにモラトリアムを設けること
脱成長の経済は、地域から進めるもののようです。
地域主権の時代にマッチしていると思います。
鎖国するわけではなく、外との連携も保ちながら、域内で脱成長に舵をきる。
どうやったら出来るのだろう?
理解度はまだまだ低いと思っています。
これを訳した、中野氏が、ご自身で本を書かれている、
「カタツムリの知恵と脱成長」というので、VideoNewsで話されていたが、
カタツムリは、決して家(貝殻のこと)を、ある程度以上大きくはしない。
それをやってしまうと自分で担ぐことができなくなり、逆に不便になることを知っているからだ。
みたいな事を、カタツムリの知恵、と言うらしい。
脱成長、関連として読んでみたいと思っています。
自分の子供や孫の世代では、なんとか「脱成長」の社会が見れないものか?
そういう思いで日々をおくってゆきたいと思う、今日このごろでした。
リベラル保守宣言
年明けに、2冊の本を借りて読みました。県立図書情報館の本を、
三宅の公民館で取り寄せていただいて入手したものです。
その2冊とは、「リベラル保守宣言」「経済成長なき社会発展は可能か?」

今回は、「リベラル保守宣言」について記します。
これは、年末に、「リベラル」という言葉を使って記事を書きましたが、それつながりでの中島岳志氏の本になります。
大元は、VideoNewsの12月9日の放送です。
きれいにまとめる自信がないので、キーワードを拾い上げてみました。
・リベラルと保守は対抗関係にあるものではない。
・保守こそが真のリベラル。
・左翼は、「人間の理性によって、理想社会を作ることが可能と考える立場」。
・保守は、「人間の理性によって、理想社会を作ることなど不可能である」と考える。
・元をたどると、西部邁氏のリベラルマインドという本。
(西部さん、この世を去られましたね。野中務さんも。)
・「自由民主主義は保守主義であらざるをえない」
・そもそも人間は不完全なもの。人間の理性による設計主義的な合理主義に解はない。
・真の保守は、人間の不完全性を直視した上で、社会変化に応じた漸進的な改革を求める。
・真の保守は、「復古主義」でもないし、もちろん「グレイトリセット」のような考えは持たない。
など。
何かの社会的問題に対して、「これは、制度が悪いから。制度を改める。」という立場をとり、
「制度を変えることで世の中は良くなってゆく。」と考えるのが左翼思想であり、
「制度を改めるのは結構だが、そもそも問題の本質は人にあるのだからそれだけでうまくゆくものではない。
したがって、急な変革はもってのほか、少しづつ変えてゆく(人自体が変わってゆく)しかない。」
といったのが、保守思想という話らしい。
同時に、中島氏は、保守といわれるものの中の、
「(戦前の)美しい日本を取り戻す」(懐古主義)や、
「グレイトリセットして1からやりなおすしかない」(破壊的な改革)、
に疑問を呈し、また、
「中庸と称して極端を嫌い、結果として人と人との間をとるだけ」のような政治も
保守(中道)ではないと批判しています。
今の政界、一体、誰が保守の本流であり、また、誰が真のリベラルと言えるのでしょうか?
三宅の公民館で取り寄せていただいて入手したものです。
その2冊とは、「リベラル保守宣言」「経済成長なき社会発展は可能か?」

今回は、「リベラル保守宣言」について記します。
これは、年末に、「リベラル」という言葉を使って記事を書きましたが、それつながりでの中島岳志氏の本になります。
大元は、VideoNewsの12月9日の放送です。
きれいにまとめる自信がないので、キーワードを拾い上げてみました。
・リベラルと保守は対抗関係にあるものではない。
・保守こそが真のリベラル。
・左翼は、「人間の理性によって、理想社会を作ることが可能と考える立場」。
・保守は、「人間の理性によって、理想社会を作ることなど不可能である」と考える。
・元をたどると、西部邁氏のリベラルマインドという本。
(西部さん、この世を去られましたね。野中務さんも。)
・「自由民主主義は保守主義であらざるをえない」
・そもそも人間は不完全なもの。人間の理性による設計主義的な合理主義に解はない。
・真の保守は、人間の不完全性を直視した上で、社会変化に応じた漸進的な改革を求める。
・真の保守は、「復古主義」でもないし、もちろん「グレイトリセット」のような考えは持たない。
など。
何かの社会的問題に対して、「これは、制度が悪いから。制度を改める。」という立場をとり、
「制度を変えることで世の中は良くなってゆく。」と考えるのが左翼思想であり、
「制度を改めるのは結構だが、そもそも問題の本質は人にあるのだからそれだけでうまくゆくものではない。
したがって、急な変革はもってのほか、少しづつ変えてゆく(人自体が変わってゆく)しかない。」
といったのが、保守思想という話らしい。
同時に、中島氏は、保守といわれるものの中の、
「(戦前の)美しい日本を取り戻す」(懐古主義)や、
「グレイトリセットして1からやりなおすしかない」(破壊的な改革)、
に疑問を呈し、また、
「中庸と称して極端を嫌い、結果として人と人との間をとるだけ」のような政治も
保守(中道)ではないと批判しています。
今の政界、一体、誰が保守の本流であり、また、誰が真のリベラルと言えるのでしょうか?
ベーシック・インカム
先のベーシックインカムの勉強会を受け、ベーシックインカム(以下BIと略す)関連本を年末年始にかけて読みました。
BIは、すべての国民に文化的な最低限度の生活を営む権利を保障するもので、
1.生活保護等の世帯ベース保障から個人ベースとなることで個人の権利が明確となること、
2.全ての人に支給されることから、生活保護の網羅率の低さが解消されること、
3.生活保護制度による労働意欲阻害が解消されること、
といった効果があると言われています。

読んだのは、
ベーシック・インカム入門 山森亮
無条件給付の基本所得を考える。
ベーシック・インカム 原田泰
国家は貧困問題を解決できるか
の2冊です。
山森氏のは、BIの概念、歴史、現状を網羅的に解説しており、また、「個人と社会との関係」や「労働」についても、改めて考えてみるという内容。
原田氏のは、前半にBIの考え方があり、後半は「実際に日本で導入できるのか?」の試算、となっています。
どちらも興味深かったが、私は、どちらかというと後者の内容に魅入りました。
以下は、原田氏の冒頭部分からの引用。(強調は私がつけました)
「これまでの日本社会の安心は、会社が中心になって担っていた。しかし、日本の会社はそのような重みに耐えかね、正社員を極力採用しないようになってきた。企業に、無理やり正社員を採用するよう求めることには無理がある。企業には、雇わないという選択もあるからだ。
そもそも、企業を安心の起点とすることは、19世紀、帝政ドイツの鉄血宰相ビスマルクが始めたことだ。ところが、雇用の非正規化とともに、そのような方法では安心のほころびが広がるばかりになっている。
そろそろ、企業をそのような仕事から解放してもよいころだ。
国家が直接、人々の安心を保障するべきだ。そうして初めて、すべての人々の安心が守られる。
さらに、医療や失業や介護の安心を守るだけではなく、国家が、貧困そのものを消滅させるべきではないだろうか。
国家に、そのような力はないと言う人もいる。
しかし、現在、国家がなしているさまざまな業務を整理できれば、国家はそのような財政力をもっているという結論に達する。」
時代の変化に即して、これからは「国家が国民の生活を守る」ことが必然ということ。
補足すると、
『近代社会は、人々が自営業者から雇用者になっていく過程であり、これにより、子どもが、親にとって「資本財」であったものから、「消費財」になっていくことを意味する。』
といったことを言っています。
以下、またまた引用。
自営業者の社会では、子どもはとともに働き、親と同じ職業とそれに要する道具を受け継いだ。
こうした社会においては、「孝」を軸とする社会の安定化制度は、それなりに機能していた。
しかし、近代の雇用者の社会では、状況は大きく異なっている。子は、親と同居せず、異なる職業に就き、赤の他人に雇われるので、「孝」に基づく社会安定制度を維持することが難しくなった。
すると、子どもはもはや資本財ではない。つまり、親は、老後になって、「年金」や「保険」を子どもが提供してくれることを期待できない。
子どもが消費財となってしまったからである。
引用ここまで。
資本財、消費財、という言葉には少し抵抗を感じるが、言わんとしていることは良くわかる。
それを補うものが、雇用保険や医療保険や厚生年金などの制度であるというのも、流れとしてよくわかる。
これらそれぞれの単独制度がほころびはじめ、よりシンプルな制度としてBIが位置付けられるといういうストーリーには、十分な説得力があると感じた。
後半の、「実現できるか?」の中では、日本の所得分布に基づき、税制、生活保護、年金、の数値データを用いて、今の生活保護制度よりBIのほうが、「国民の生活を守る」ことができるものであることを説いています。
BIで必要となる100兆円近い財源は、以下のように捻出されるとのこと。
①税制(所得控除をなくし、全ての所得に課税する。)なぜならBIが所得控除の代わりとなるから
66兆円
②年金、子ども手当、雇用保険
19兆円
③各種所得補償、民生費、生活保護費より
15兆円
大半は、税制(所得控除)から来るものとなる。
以前より、BIの話で、私がひっかかっていたのは、なぜ、高所得者、資産家にも支給されてしまうのか?ということだった。
現在でも、高所得者、資産家にも、所得控除はある。それと同じで、BIは当然の権利と言うことらしい。
(確かに理にかなっている。)
また、資産課税についても同様で、小規模宅地優遇制度なども廃止。
国がBIで生活を保障し、それ以外の収入、資産には一律課税するというスタンスで、すっきりしている。
なお、税の累進性をどのようにするかは、公平性および、税収増と徴税コストの両面から考えることとしており、詳しくは言及されていない。(累進性をとらずとも、所得に30%課税で財源は確保出来、現在の平均的所得者には増税とならない事が示されている。)
BI導入にあたっての一番の問題は財源と言われるが、実は無知なだけだったりして。。
BIは、すべての国民に文化的な最低限度の生活を営む権利を保障するもので、
1.生活保護等の世帯ベース保障から個人ベースとなることで個人の権利が明確となること、
2.全ての人に支給されることから、生活保護の網羅率の低さが解消されること、
3.生活保護制度による労働意欲阻害が解消されること、
といった効果があると言われています。

読んだのは、
ベーシック・インカム入門 山森亮
無条件給付の基本所得を考える。
ベーシック・インカム 原田泰
国家は貧困問題を解決できるか
の2冊です。
山森氏のは、BIの概念、歴史、現状を網羅的に解説しており、また、「個人と社会との関係」や「労働」についても、改めて考えてみるという内容。
原田氏のは、前半にBIの考え方があり、後半は「実際に日本で導入できるのか?」の試算、となっています。
どちらも興味深かったが、私は、どちらかというと後者の内容に魅入りました。
以下は、原田氏の冒頭部分からの引用。(強調は私がつけました)
「これまでの日本社会の安心は、会社が中心になって担っていた。しかし、日本の会社はそのような重みに耐えかね、正社員を極力採用しないようになってきた。企業に、無理やり正社員を採用するよう求めることには無理がある。企業には、雇わないという選択もあるからだ。
そもそも、企業を安心の起点とすることは、19世紀、帝政ドイツの鉄血宰相ビスマルクが始めたことだ。ところが、雇用の非正規化とともに、そのような方法では安心のほころびが広がるばかりになっている。
そろそろ、企業をそのような仕事から解放してもよいころだ。
国家が直接、人々の安心を保障するべきだ。そうして初めて、すべての人々の安心が守られる。
さらに、医療や失業や介護の安心を守るだけではなく、国家が、貧困そのものを消滅させるべきではないだろうか。
国家に、そのような力はないと言う人もいる。
しかし、現在、国家がなしているさまざまな業務を整理できれば、国家はそのような財政力をもっているという結論に達する。」
時代の変化に即して、これからは「国家が国民の生活を守る」ことが必然ということ。
補足すると、
『近代社会は、人々が自営業者から雇用者になっていく過程であり、これにより、子どもが、親にとって「資本財」であったものから、「消費財」になっていくことを意味する。』
といったことを言っています。
以下、またまた引用。
自営業者の社会では、子どもはとともに働き、親と同じ職業とそれに要する道具を受け継いだ。
こうした社会においては、「孝」を軸とする社会の安定化制度は、それなりに機能していた。
しかし、近代の雇用者の社会では、状況は大きく異なっている。子は、親と同居せず、異なる職業に就き、赤の他人に雇われるので、「孝」に基づく社会安定制度を維持することが難しくなった。
すると、子どもはもはや資本財ではない。つまり、親は、老後になって、「年金」や「保険」を子どもが提供してくれることを期待できない。
子どもが消費財となってしまったからである。
引用ここまで。
資本財、消費財、という言葉には少し抵抗を感じるが、言わんとしていることは良くわかる。
それを補うものが、雇用保険や医療保険や厚生年金などの制度であるというのも、流れとしてよくわかる。
これらそれぞれの単独制度がほころびはじめ、よりシンプルな制度としてBIが位置付けられるといういうストーリーには、十分な説得力があると感じた。
後半の、「実現できるか?」の中では、日本の所得分布に基づき、税制、生活保護、年金、の数値データを用いて、今の生活保護制度よりBIのほうが、「国民の生活を守る」ことができるものであることを説いています。
BIで必要となる100兆円近い財源は、以下のように捻出されるとのこと。
①税制(所得控除をなくし、全ての所得に課税する。)なぜならBIが所得控除の代わりとなるから
66兆円
②年金、子ども手当、雇用保険
19兆円
③各種所得補償、民生費、生活保護費より
15兆円
大半は、税制(所得控除)から来るものとなる。
以前より、BIの話で、私がひっかかっていたのは、なぜ、高所得者、資産家にも支給されてしまうのか?ということだった。
現在でも、高所得者、資産家にも、所得控除はある。それと同じで、BIは当然の権利と言うことらしい。
(確かに理にかなっている。)
また、資産課税についても同様で、小規模宅地優遇制度なども廃止。
国がBIで生活を保障し、それ以外の収入、資産には一律課税するというスタンスで、すっきりしている。
なお、税の累進性をどのようにするかは、公平性および、税収増と徴税コストの両面から考えることとしており、詳しくは言及されていない。(累進性をとらずとも、所得に30%課税で財源は確保出来、現在の平均的所得者には増税とならない事が示されている。)
BI導入にあたっての一番の問題は財源と言われるが、実は無知なだけだったりして。。
「南京事件」を調査せよ
以前、ある方から戦争体験をお聞かせいただいたときに、この本を紹介されました。先の国会で、安保法制の強行な採決があったころのことです。
カーリルでチェックはしていたのですが、最近、やっと借りてきて、読むことができました。
この本は、2015年、戦後70周年企画として、NNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言」という作品が作られた際の取材情報を本に綴ったもので、ぜひ、ひとりでも多くの方に読んでいただきたい書籍です。本書では、「南京事件」の調査報道の内容だけにとどまらず、なぜ、「南京事件」に対して、メディアが目を逸らせるのか、また、一部の人たちから強く否定されるのか、そして、闇に封じ込めようとされているのか、についても触れられており、考えさせられる内容となっています。
2013年の特定秘密保護法に続き、今年2016年も、安保法制、TPP、カジノ、と強行な採決により国が動き出しています。果たして、国民あっての国家なのか、国家あっての国民なのか、問われているような気がしてなりません。
カーリルでチェックはしていたのですが、最近、やっと借りてきて、読むことができました。

2013年の特定秘密保護法に続き、今年2016年も、安保法制、TPP、カジノ、と強行な採決により国が動き出しています。果たして、国民あっての国家なのか、国家あっての国民なのか、問われているような気がしてなりません。